懐かしい場面

Posted by みぃー on   2 comments   0 trackback

昨日、歯医者さんからもどるその道で大声で泣く男の子を見ました。

ちょうどそこに私の撮りたいお花があって

それで…そこにおさしんを撮りながらいることにしたの。


2歳くらいの小さな男の子の横には生後半年くらいの女の子が抱っこされていて

とっても重そうだったのだけれど

このまだ暑い4時くらいの時間にこの親子はもうずっと長いことそこで格闘していた。


男の子はお母さんに自転車のハンドルを持たれてずっと ダメでしょ って言われてた。

そのたびに大声で泣くものだから

道行く人たちはみんなこの若いお母さんに諭すように男の子に向かってやさしく声をかける。


近くでおさしんを撮っていた私にもその泣き声は耳障りなほど大きくて

かなりなご近所迷惑であることは間違いがなく、

でも一体、どうするのか見守っていた。


あー、かつて私も覚えがあって、

わが子にとって理想的な母であろうとして、

ほんの小さなことにくだくだと大人のへ理屈を並べたてて長い時間を割かなくてはいけなくなるのだ。


それは子供にきちんといってわからせようとするという教育的なものなはずなんだけれど

もうどこかで行き過ぎていて

その子の歳でわかる範疇の時間をはるかに超えて

ほかの誰かにも迷惑でありながら貫き通すことを選んだばかりに

親としても引くわけにはいかなくなって・・・。


今思えば結果的にその時に子供が受け取ったものは親の思いとはかけ離れていたりして、

頑固な親がもっと頑固な子供を作ってしまっているのかもしれなかったりする。


ぱちんと一発たたいてしまった方がそれで充分に心は伝わって済むことだってあるんじゃないかと

殴らないでいることばかりにとらわれてしまったあの時の自分を振り返る。


下の娘は7つも歳が離れて生んだことが幸いして叱ったということもほとんどなく

上手に親の思いを受け取ってくれて来たと思う。


それはいったいどう違うのかと思えば親の心の余裕なんだろうと思う。

今すぐにわからせなくてはいけないことと、そうでないことを見分ける力かもしれないし、

経験してそんなにその時に伝えなくてもちゃんと大きくなっていくんだという自信なのかもしれない。

ものごとを突き詰めすぎない親のおおらかな心なんだろう。

これは時間というものが人を育てていくのを信じて待っていられるかということを

試されているのかもしれない。


恥ずかしくない立派な子にしようと思っていたあの頃の自分がこの親だとすれば、

なんてけなげな真面目な親なんだろうと思えたりもする。


今振り返ってみれば

一番自信がなかったのは本当は泣いた息子ではなくてこの親になったばかりの未熟な私だった。


がんばっているじゃん、お母さん。

そしてお母さんもまた立派なお母さんとなっていくんだろう。


いろんなことを考えながらおさしんを撮り続け、

ずっと泣き続ける男の子は何度も途中でまた泣くことをぶり返しながらも

その声はだんだんと遠くに去っていった。


いつか思い返す日が来るんだろう。

きっと立派な子になっているけれど、

ちょっぴり自分のせいでおおらかな子を小さくさせてしまったかもしれないと反省している自分を。


たぶん、泣いていた男の子と今晩のお風呂ではよりやさしくなって

今日はかわいい息子の寝顔をじっと見ているんだろうな・・・。


おやすみぃー。

いつものランコースのお花畑 百合のつぼみ

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Comment

ドタバタ says..."No title"
何事も、経験しないと解らないことって、ありますよね。

僕もこの歳になって、初めて経験して知り得ることが沢山あります。

まだまだですね。

これからも、沢山の人と会って、感じて、

色々経験したいと思います。


みんな、がんばれー!
2011.07.26 23:02 | URL | #- [edit]
みぃー says..."Re: ドタバタさん"
ドタバタさん、こんばんは。

すごいなぁー、あんなに人と会ってきてるっていうのに、

なんというバイタリティーなんでしょ。

ウルトラランナーってなんだか底なし。

ドタバタさんは特にその中でも一番のポジティブすぎっ。
2011.07.26 23:28 | URL | #- [edit]

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